2018年9月30日日曜日

英雄たちの選択・選「幕末最強の軍をつくった男~佐賀藩主 鍋島閑叟~」

NHKの英雄たちの選択という番組で佐賀藩主 鍋島閑叟という人物を知った。

藩主にして優秀な技術者。最新式の武器を国産化したが薩長土の雄藩連合には加わらなかった。最後は新政府に参加して戊辰戦争の終結を早めることにはなるが。

政治の主導権を一時的に握るよりは革命成功後の殖産興業まで見据えていたのか、ただ政治に興味がなかっただけなのか、技術が好きなだけだったのか。理系の経営者としては非常に興味をそそられる。

http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-09-20/10/28008/2473077/


2018年9月29日土曜日

歴史の理解を妨げてきたもの4

歴史に関する書籍を読んでいて若干違和感を覚えるのは、物証、仮説、私論、定説、史実、等々がごちゃごちゃに書かれている印象を持つからです。中には丁寧にそれらを分けて解説してくれている書物もあるのですが、事実と間違えそうな怪しげな私論も紛れていないとは断定できないので読むほうが注意しなくてはなりません。

特に問題なのが、資料(史料)が少ない、欠けている時代です。そこにロマンを感じる人は多いのですが・・・


2018年9月14日金曜日

韓国・朝鮮史

日本の古代史を勉強するのに、中国史、韓国・朝鮮史の知識が外せません。なかなか古代から抜けられませんがこの際、最低限の常識を身につけようと韓国・朝鮮史を整理したくなりました。


2018年9月9日日曜日

Emperor

今現在、世界各国の元首(日本は国民統合の象徴ということになっている)の敬称でEmperor=皇帝(日本は天皇)を名乗れるのは日本の天皇だけだそうである。よって英国エリザベス女王(Queen)が日本の天皇に謁見したとき膝をついて頭を下げているところを見たことがある。オバマ前大統領も頭を下げていた。トランプ大統領は側近の忠告を受けたのか下げなかったけど。

「皇帝」とは「王(女王)」の上に立つ存在であるが、今や植民地もない日本がなぜ「皇帝(天皇)」を名乗れるのか?

その昔は「大王(おおきみ)」と呼んでいたそうだが、天武天皇のとき、朝鮮半島の東の一部、新羅を従えていた(と思っていた)時期に「天皇」の呼称に変えたようである。それがそのまま今まで続いている。

専門家ではない素人の思い込みと思ってもらって良いですが、当時から小華夷思想つまり、大唐帝国を中心とする華夷思想に対抗して、日本が中心で朝鮮半島の一部を従えている、という意識がその頃にはあったのでしょう。

以前、韓国の新聞を見たことがありますが、日本の天皇のことを「日王」と称しており、これは「日本は韓国の上ではないぞ」と言いたいようで、天皇に対して失礼なことではありますが、心情的にはわからなくもない、と言ったところでしょうか。




2018年9月7日金曜日

杭瀬川の戦い

今日は早朝から録画してあったNHKの「英雄たちの選択」を見ました。

今回は石田三成の軍師だった島左近の回です。私は大垣市の生まれなのですが、今日まで関ヶ原の合戦の前哨戦である「杭瀬川の戦い」を知りませんでした。ここでは西軍が勝利していたんですね。家康がこれ以上被害が拡大しないように必死で止めた、という話もあるそうです。

今回の番組で島左近の「選択」は、杭瀬川の戦いで東軍に勝利した島左近は、その勢いに乗じて「家康本陣に夜襲をかけるか」、「関ヶ原に転進するか」でした。

実際には後者を選択して半日で決着、西軍が敗北するわけですが、実は前者が西軍が万に一つ勝利する大チャンスだったのではないか、というのが出演者の大勢の意見でした。

磯田さんがいいまとめをしていました。「準備・蓄積タイプの人間は、チャンス追求・臨機応変が得意なタイプの人の意見を聞きにくい」。もちろん前者が三成、後者が左近なわけですが、ビジネスの世界でもよくある話だと思いました。

平時なら完璧なお膳立てを準備万端整える人間の方が重視され出世もするのでしょうが、乱世で世の中がどう動くのか完璧な予測ができない場合は、一縷のチャンスが見えたら信じた道をがむしゃらに進んだ方が良い結果が得られることもある、という教訓なのかもしれません。


 

2018年9月5日水曜日

台風一過

台風21号が日本列島を縦断しました。

私は昭和34年7月生まれですが、9月には伊勢湾台風が上陸、約5千人の方が亡くなっています。その教訓から富士山にレーダーが設置され、その後は衛星による気象予報が主流になって今に至っています。現在は台風が何時頃来るかわかるので鉄道は早めに運休を決定し、各家族や自治体などは備えもできるわけですが、伊勢湾台風の当時はある日突然強風と豪雨に巻き込まれて訳もわからず命を落とした人が多かったということなのでしょう。

下に紹介している本では、庶民にとっては戦乱も災害のうち、と紹介しています。自らの意思に関わらず突然死ぬか生きるかの状況に追い込まれてしまう。その当時に生活していた人は大変だったことでしょう。

民が幸せに生き延びるのに「正しい情報を得ること、そして得られた情報をあまねく行き渡らせることのできる技術と社会」がいかに大事か身に沁みます。

 

素人は戦術を語りプロは兵站を語る

「三流は戦術を語る。二流は戦略を語る。一流は兵站を語る。」
とも。

ビジネスで「戦術」とは「現場」つまり開発とか営業の最前線での意思決定だと思います。

また「戦略」とは、どの会社と組むか、資本構成をどうするか、どっちの方向に会社を誘導するか、等々、トップレベルの意思決定でしょう。ここで一言申せば、いろんな会合でプレゼンを目にしますが、不特定多数に明かせるような戦略・戦術などもはや「戦略」とか「戦術」とは言えないでしょう。その裏で誰も知らない戦略・戦術を練って実行しているものこそ本物の戦略・戦術です。

では「兵站」とは何に当たるのか。お金や物の流れ、つまりキャッシュフローや物販の場合は物流をどう構築するか(IT産業なら情報の流れ)、だと思います。非常に大事なことなのに疎かにされる傾向にあるようです。つまりここをしっかりやることで組織を強くすることができ、他社と差別化もできるのにです。

また一流であろうとする者、タダで人に教えるようなことはしません。(だからここには書かない)

※今回紹介する本は本文とは関係薄いです。


2018年9月4日火曜日

歴史「を」学ぶ 歴史「から」学ぶ

人は歴史「から」何かを学び取ろうと歴史「を」学びます。

ところが、研究者に言わせると、「歴史「から」学んだ」と言う人の理屈はかなり胡散臭く、実際に歴史「から」学ぶことは難しいものなのだそうです。

世間に普及し多くの人々に信じられている通説や伝承が、史実つまり実際に起きたかどうか怪しいものがたくさんある、そうです。歴史の研究者は、たくさんの史実を読み込んで、他の傍証から仮説を補強して、反論が一定期間なければ通説として定着する、、、という過程を踏むようですが、歴史をベースにした読み物を書く人がそういう地味な作業をすっ飛ばして仮説や伝承のまま、もしくは自分の想像をあたかも事実かの如く世間にばらまくのが問題なのだそう。義経の鵯越や信長の桶狭間を真珠湾攻撃の前に引き合いに出した山本五十六と言う人がいましたが、鵯越や桶狭間は史実ではなさそう、と言うのが通説になりつつあるそうです。中世史家の呉座さんの「陰謀の日本史」という本には史実を軽んじる例がいくつも出ていますがいつかこれも紹介しましょう。

歴史「から」学ぶ、学べるとすれば、それは「人間というものは愚かでいつまでたっても歴史を学ばず同じ過ちを何度も繰り返すこと」なのだそうで、逆説的ではありますが、それを知るだけでも歴史「を」学ぶ価値はあると言えるのかもしれません。



2018年9月3日月曜日

Only a Pawn in Their Game

戦争を学ぶ時、普通は国や大将の戦略・戦術を知ろうとします。

ところが大将になれるのは国に一人。我々一般人がその時代に生きていたら普通は一兵卒だしそんな大将の頭の中を想像したところで今生きるのに役に立つでしょうか。

先の大戦でも多くの一兵卒や一般市民が犠牲になりましたが、国の方針でただただ命を落として行った人々は無念を晴らすこともなくどんな気持ちで亡くなったのかと考えるといたたまれなくなります。表題はボブ・ディランの曲名ですが、チェスで"Pawn"は将棋で言えば「歩兵」にあたるもの。

戦争は遠ざかりましたが、社会の構成員として会社の戦士は多いはず。「捨て駒」にはなりたくないものですね。



アジアからの視線、視点

昨日東京出張の際に、駅ナカの書店で偶然見かけて即買いしました。 高校レベルの日本史、世界史を勉強してても、インドネシア、フィリピン、ビルマ、マレーシア・シンガポール、タイ、インド等々の歴史はほとんど知ることができません。特に太平洋戦争で関わりが深かった(要するに迷惑も掛けたし...