2018年8月31日金曜日

反日国、親日国

前回「日本は(ほとんど)戦争をしない国」と書きました。2000年のスパンで見ればそうかもしれません。ところが先のアジア・太平洋戦争の傷跡がアジア各国にあちこち残っているため、日本は好戦的で野蛮な国だと思われているだろうことは残念なことです。

台湾・ベトナム・インドネシア、等々は比較的「親日的」だと聞きますが、中華人民共和国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は反日勢力が大勢います。

古代、日本にとって世界とは中国東海岸と朝鮮半島の周辺でした。日本・中国・朝鮮各国の3者の中での序列は、中国・朝鮮にとっては、中国>朝鮮>日本、という認識だったと思います。朝鮮は中国に朝貢しており中国の子分だが、日本は朝貢もしてない、化外の地、つまり何が住んでいるかわからないような野蛮な国、ということです。

ところが日本側の認識は、中国>日本>朝鮮だったと思われます。中国ほど大国ではないし文化も劣っていたが一応は自立して独立を保っていたし、中国の属国である朝鮮よりは上だろう、というような。

日本がいち早く近代化に成功すると、今度は中国を抜いた、日本がアジアの盟主だ、という感覚だったでしょう。日本>中国>朝鮮、でしょうか。

そんな意識のズレが数々の不幸な出来事の遠因であり、その後の日本に対する悪感情の原因だとすれば、不幸なことです。



日本は戦争をしない国?

戦国時代や近代化以降の数々の戦争が意識に刷り込まれているからなのか、日本は四六時中戦争をしている国だと思っている人が大半だと思いますが、有史以来の長い歴史を俯瞰し特にヨーロッパと比較してみると、意外に対外戦争をしていない国です。

「日本は戦争をしない国 P.221」

400, 404 高句麗との戦い(好太王碑に書かれている)
663 白村江の戦い
1592-3, 97-98 文禄・慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)
(8-10c 新羅の入寇、1019 刀伊の入寇、1274, 1281 元寇、1419 応永の外寇、は防衛のための小規模な戦闘なので除く)

近代化まで、これだけしか対外戦争をしていません。ペリーが来航して開国してからは戦争に次ぐ戦争で破滅に向かいました。

1874 台湾出兵
1894-95 日清戦争
1900-01 北清事変
1904-05 日露戦争
1914-18 第一次世界大戦
1918-22 シベリア出兵
1931-33 満州事変
1937-45 日中戦争
1939 ノモンハン事件
1940 仏印進駐
1941-45 太平洋戦争
以後、70年以上戦争をしていません。歴史的に見てこの戦争が続いた70年あまりは相当特殊な時期だったと言えましょう。もう二度と戦争をしてはいけません。今度こそ本当に国が滅びます。



2018年8月30日木曜日

古代人の思考様式や生活をイメージする

古事記をマンガで読めるようになったはいいことだと思うのですが、古代に生きた人々の思考様式がイメージできず(例えば自分の縄張りはどこまでと認識していたかとか、女性の立場は強かったのかとか、何を大事だと思って生きていたのか、等々)、現代の価値観で古文を読むのは無理があり、変な解釈をする危険性もあります。そんな疑問を持っていたことからふと見つけた書籍を紹介します。


2018年8月28日火曜日

古事記

日本の古代を知るには外せないのが「古事記」です。

ところが、戦前の教育では小学校から神話の教育がなされ誰でも知っていることなのに、敗戦後、皇国史観はいかん、と言うことで学校では教えなくなりました。「古事記」と言う名詞は日本史によく出てくるのに実際の中身を普通の人は誰も知らない状況になってしまいました。

戦後70年以上も経過し、軍国主義に戻ることはまずないわけで、もっと客観的に日本の神話はこうだった、戦前はこう言う教育を受けていたのだ、と教えればいいと思うんですがね。

現代語訳があるとは言え、それほど読みやすいとも思えず、まんが版があると聞いて購入して見ることにしました。逆に戦前だったら神様をこのような軽いタッチで絵を描いたら不敬罪に問われるかもしれず、いい世の中になったものだと思います。

次は「日本書紀」にも挑戦してみようと思います。



2018年8月27日月曜日

大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱

なかなか近現代史に行き着きません。古代史を調べているとその昔小中高校時代に習った歴史が変わっていたり、視点が狭小で今のような世界の中の日本と言う見方が欠けていることに気づいたからです。

例えば大化の改新や壬申の乱がただの内乱ではなく、背後に大陸の大唐帝国の影響があったことを想像せざるを得ません。またそれを前提にした方が理解が進みます。

大陸で統一国家、大唐帝国ができたことで、蘇我氏に私物化されていた朝廷の権力を天智天皇に集中させたのが「大化の改新」、大陸への足がかりだった百済を再興するため大唐帝国と戦ったのが「白村江の戦い」、これに大敗したため国内を建て直す方向に大きく舵を切るため大海人皇子が天智天皇の息子大友皇子を攻めたのが「壬申の乱」、と言う一連の流れがようやく頭に入りました。



2018年8月26日日曜日

日中関係史

「ビジネスマンは近現代史だけ知っていれば良い」と言いつつ、現代の東アジアの各国関係、例えば北朝鮮が米国と交渉する前に中国にお伺いを立てたりとか、中国の「一帯一路政策」等々を見るにつけ、朝貢して冊封を受ける、いわゆる華夷思想の根深いものを感じるので、まず日中関係をおさらいすることにしました。



2018年8月22日水曜日

「超日本史」をYouTubeで見よう


YouTubeで見る「超日本史」はこちら


超日本史 終章 徳川の平和、そして明治維新を可能にしたもの

終章 徳川の平和、そして明治維新を可能にしたもの

日本は中華文明を取り入れつつも中華帝国に組み込まれることは拒否し続けてきました。その後の大航海時代には鉄砲を国産化するなどして植民地化されることなく鎖国に至りました。ペリー来航で無理矢理開国させられた感はありますが、明治維新から日露戦争により先進国の仲間に入ることができました。その後、太平洋戦争で一旦国土が荒廃しますが高度経済成長で不死鳥のように蘇ります。

海外の文化文明を取り入れつつ独立を維持してきた諸先輩方の努力、そして日本に誇りを持ちたいと思います。





超日本史 第12章 「鎖国」を成立させた幕府の圧倒的軍事力

第12章 「鎖国」を成立させた幕府の圧倒的軍事力

内容が濃いので要約できませんが、興味深いのが

「日本人傭兵と日本製の武器がオランダ、イギリスの東インド会社の植民活動に影響を与えていた」

と言う事実です。





2018年8月21日火曜日

超日本史 第11章 豊臣秀吉の伴天連追放令と朝鮮出兵

第11章 豊臣秀吉の伴天連追放令と朝鮮出兵

16世紀、スペインは、数百年続いたイスラム教徒との戦いに勝利した次に、コロンブスがカリブ海の島々に到達します。ポルトガルは実利中心でしたが、スペインはカトリックを世界に広める聖戦として先住民を殺戮し奴隷化していきます。

イエズス会がスペイン国王に日本への派兵を要請していたり、ポルトガル商人がキリシタン大名と組んで日本人奴隷を輸出していたりと言った知られざる事実が書かれています。

秀吉が朝鮮出兵したのは明を征服するのが目的でしたが、なぜか教科書では伏せられています。私たちの学生時代、秀吉は国内では領土が尽きてきたので武士たちに領土を与えるためとか、晩年頭がおかしくなっていたとか、説明されていたと思います。

この章だけでもこの本の価値があると思っています。





2018年8月20日月曜日

超日本史 第10章 ポルトガル産の硝石を求めた戦国大名たち

第10章 ポルトガル産の硝石を求めた戦国大名たち

いよいよ日本が大航海時代、ヨーロッパと本格的に交流を始めます。その後カトリック国に危険を感じた豊臣秀吉が出した伴天連追放令から江戸幕府の鎖国への動きに繋がっていきます。

石見銀山、鉄砲の伝来と国産化、火薬の原料である硝石の輸入とキリスト教布教、そして日本人奴隷貿易から禁教へ、あたりの章です。






2018年8月19日日曜日

超日本史 第9章 国際商業資本が支えた室町グローバリスト政権

第9章 国際商業資本が支えた室町グローバリスト政権

東国武士団が動き出します。元寇を撃退したものの領地が増えて経済的に得たものがあるわけでなく、逆に宋銭が出回って高利貸しに手を出し経済に困窮、「永仁の徳政令」が出されます。これで新たな借り入れができなくなって信用経済が崩壊、幕府が行き詰まります。侵略戦争ではない、防衛戦争の恐ろしさですかね。侵略でも防衛でも戦争はよくない結果をもたらすが、防衛戦争の一時的な勝利の背景には実は政府が倒れかねないくらい経済が疲弊しているということを認識しないといけない、だから戦争にならないように外交を大事にしないといけない、という意味です。

それまで中華帝国と政治的に対等な立場を求め続けていた日本は、足利義満が朝貢を始めることで経済的に成功し、その結果が金閣寺、と言えばわかりやすいですね。




超日本史 第8章 シーパワー平氏政権 vs ランドパワー鎌倉幕府

第8章 シーパワー平氏政権 vs ランドパワー鎌倉幕府

「元寇」の章です。この章にも太宰府が出て来ます。





超日本史 第7章 日本史を東アジア史から分かつ「武士の登場」

第7章 日本史を東アジア史から分かつ「武士の登場」

サムライの出現は他の東アジアには見られない現象です。ヨーロッパの騎士に比較されますが、実態はアメリカ西部開拓時、開拓農民が武装したようなもののようです。中央政府から離れ(日本の場合は関東)、開拓した土地と自分の身を守るために武装したということです。

930-940年頃、地方武士の反乱である、平将門の乱、藤原純友の乱が起きます。先日九州の太宰府に行ってきましたが、藤原純友がこの太宰府を破壊しています。太宰府は設置されてから何度も破壊されており、その遺構が層になっています。

「太宰府」が古代から幕末まで、何度も登場するのが興味深いところです。




2018年8月18日土曜日

超日本史 第6章 動乱の中国から離れて国風文化が開花した

第6章 動乱の中国から離れて国風文化が開花した

唐王朝が崩壊します。国土が広大になると軍を維持するために金がかかって破綻する、というパターンが古今東西どの帝国でも見られます。いつか古今東西の大帝国が拡大しては崩壊していく過程を見比べてみたいものですが、いつになりますやら。

唐が崩壊したことで遣唐使が廃止され、日本は唐への政治的従属関係を断絶したのに続いて、文化的にも唐の影響から自立します。




超日本史 第5章 大唐帝国から見た「東方の大国」日本

第5章 大唐帝国から見た「東方の大国」日本

この章で面白いのは、玄宗皇帝が各国からの朝貢使節団を接見する儀式での席次問題です。当初、東の上座に新羅、西の上座に吐蕃(チベット)、東の下座に大食(イスラム帝国)、西の下座に日本、だったのが、日本を東の上座にしてもらった、という件です。つまり大唐帝国から見て日本は吐蕃と並ぶ大国であることを認めさせたということです。

どの世界もいつの世も席次にこだわりがあるし、国際関係では特に大事、ということと、日本は当時から大国扱いされていた、ということを認識しました。



ノモンハン事件

毎年のことだがこの時期はNHKスペシャルでアジア・太平洋戦争関連の特集が続く。今回は満州とソ連・モンゴルとの国境で起きた紛争、ノモンハン事件についてであった。詳しくは書籍が出ているし研究者がいるので感想だけ述べる。

関東軍が越境爆撃を中央の承認を取らず勝手に行ったとか、ソ連が戦車など圧倒的な戦力を続々戦地に送り込んでいることを知りながら歩兵中心で戦おうとしている現場には伝わってないとか、現場の判断で撤退したり捕虜になった人間の自決を促すとか(それが後の太平洋戦争末期の民間人への自決強要に繋がる)、、、、要するにめちゃめちゃ。

特に気になるのが、その敗戦の2年後、太平洋戦争に突入、つまり何の反省もなく、同じような圧倒的な戦力差で無謀にも開戦して日本を奈落の底に突き落としたことである。

現場の暴走を止められず、上の誰も責任を取らない組織、理屈より精神論だけで乗り切ろうとする狂気、が怖い。





仮説と実証

理系の人間からするとそんなの当たり前じゃん、としか思えない仮説と実証の分担とお互い持っているリスペクトが、歴史学ではそうでもないらしい。史実に忠実であろうとする学者と、その背景やストーリーを重視する学者、作家、諸々の人との間があまり仲が良くないらしい。

アインシュタインが画期的な特殊・一般相対性理論を構築して、賛同したり疑問に思ったりした実験物理の学者たちが寄ってたかって実証して来た。重力波が観測されたのはついこの間だ。


これは事実と確定したわけじゃないからドラマとして成り立たない、ことはないし、仮説があるからこそ実証しようとして血眼で史料を探し読み解く。それでいいではないか。

2018年8月15日水曜日

超日本史 第4章 白村江の敗戦から「日本国」の独立へ

第4章 白村江の敗戦から「日本国」の独立へ

第3章までは前振りとして、第4章からいよいよ日本が大陸と対峙してどう付き合って行くか悩む時代が始まります。

先日、福岡の太宰府と隣接する国立九州博物館に行って来ました。太宰府は7世紀後半、今の福岡に設置された行政機関で、現在の外務省、防衛省、県庁、等を統合したイメージの役所だったそうです。白村江の戦いの後、防衛のために防波堤のような「水城(みずき)」が作られ、九州博物館にその展示がありました。

「白村江の戦い」とは、当時世界最大の帝国であった唐と新羅の連合軍に挑んで負けた戦いです。ちなみに私の時代は「はくすきのえ」と言っていましたが、最近は「はくそんこう」と読むようですね。

この後、壬申の乱が起きますが、これは唐に服従するか否かの戦いで、結局唐の支配を脱して日本国の独立を確立した、大きな意味のある戦いだったようです。当時一歩間違えば今は中国の一部だったかもしれませんね。

社会人の歴史の学習の仕方

以前も書きましたが、歴史を年代を追って順に学習するのは理にかなっていないと思うので、ビジネスマンとして一般常識としての歴史を身に付けたいのであれば近現代史を集中的に学ぶことをお薦めします。古代史が趣味とか歴史に元々興味があってこだわりのある人は別ですが。

世界史と言うかヨーロッパ史で近代とは、大航海時代、ルネサンス、宗教改革、に始まる時代のことですが、日本史で近代から学習するとすれば年代としてはもうちょっと遅い、幕末からがいいのではないでしょうか。江戸時代は海外との交流が限定されるので、江戸時代そのものを知りたいのでなければ世界の中の日本の位置付けを知るにはあまり適当な気がしません。そこで疑問に思ったら江戸時代、もしくは戦国時代・安土桃山時代くらいまで遡ればいいわけですし。

今「超日本史」と言う書籍を章ごとに紹介しようとしているのですが、なかなか近現代史に行き着かないので章の説明が雑になった言い訳です。



超日本史 第3章 巨大古墳の時代と「東アジア版民族大移動」

第3章 巨大古墳の時代と「東アジア版民族大移動」

弥生時代の二大帝国、東の漢帝国と西のローマ帝国の話から始まります。ようやく歴史を学んでいる感じがして来ましたか。

フン族がゲルマン民族を襲撃し、その大移動の結果、ローマ帝国は東西に二つに別れ、西は滅び、フランク人が西ヨーロッパを再統一し、フランク王国は相続の関係で西、中、東の三つに別れてそれぞれフランス、イタリア、ドイツの起源になります。

一方東アジアでは匈奴と漢が戦っており、フンは匈奴ではないかとの説もあるようです。ここで東西が繋がるわけですね。

詳しくは説明できませんので本を読んでください。


超日本史 第2章 神話と遺跡が語る日本国家の成り立ち

第2章 神話と遺跡が語る日本国家の成り立ち

アジア・太平洋戦争の敗戦後、GHQから神話教育が禁止されたこともあり、私の世代は学校では神話に関してほとんど教育を受けた記憶がありません。父は昭和6年生まれ、母は8年生まれなので、天照大神とか神武天皇とかの教育を受けたと聞いたことがあります。

この部分は信じられるところもあるが、これは科学的に怪しい、と言う教え方でもいいので、戦前どんな教育を受けていたのか知りたいところです。私が知りたいのは主に世界の近現代史なので、いずれこれら一通りの近現代史を学んだ後時間ができたら、いつかは古事記や日本書紀をざっと俯瞰してみたいと思っています。


超日本史 第1章 そもそも日本人はどこから来たのか?


茂木誠氏の「超日本史」が面白く読めたので紹介がてら要約を試み、同時に感想を述べたいと思います。長くなるのでしばらく続くと思われます。



第1章 そもそも日本人はどこから来たのか?

言葉が生まれる前の世界なので、調べる対象は食べたものが残っている遺跡、人骨、DNA等になります。幸いなことに、日本は他国に征服され滅ぼされた経験がないので、大陸から移り住んだ我々のご先祖様と現代人は血が繋がっていると信じることができますが、このことは当たり前のことではなく、滅ぼし滅ぼされを繰り返して来た人類史全体の歴史を知ると稀で幸せなことだとわかります。

日本に定住し始める前のことを追求すること、知ることは、学問的に興味はそそられますが、歴史の勉強に割ける時間は限られますから、ビジネスマンである自分の勉強の対象は「日本に定住し始めた日本人」以降の歴史に絞りたいと思います。





2018年8月14日火曜日

継続することの大事さ

先ほど地域の商店街の夏祭りに行ってきました。普段この地域では見かけないくらいの人出で盛況でした。ところが毎年定点観測しているので、年々出店者が減っているのが気になります。

うちの近所ではまだこの程度ですが、過疎地域の商店街をはじめとする産業や人口の減り方は酷いのではないかと想像されます。

過去栄光を誇ったハプスブルク帝国、オスマン帝国、大唐帝国、モンゴル帝国は既になく、大英帝国や我が大日本帝国などは規模を縮小して形を変えながら細々と?生きながらえています。いっときの栄華を誇るのはその場に居合わせる人々にはいいかもしれないが、その後、滅びたり衰退したりするのを体験させられるのは辛いものです。

日本の皇室も皇位継承者の少なさから絶滅の危機と言ってもいい状態だと思いますが、それ以前に日本と言う国が滅びず継続して行けるのか、ここ数十年の取り組みが正念場ではないでしょうか。

影響を受けた書籍を紹介して見る〜超日本史

このブログでは、引用元も明示しないまま素人の私が自論を並べても価値が低いので、今後は折に触れて、今まで読んだ本を紹介しながら自分なりの解釈をしてみようと思います。

初回は予備校講師の茂木誠氏による「超日本史」です。



氏は予備校で世界史を教えていますが、大学・大学院は日本史専攻だったそうで、今回世界史から見た日本史を書かないかとの依頼によって書かれた本だそうです。

依頼された背景としては、2020年度から文科省の学習指導要領が変わり、近現代の日本史と世界史を統合した「総合歴史」なる科目が新設されるので、その教科書とはどんなものになるのか?を想像しながら書かれたようです。

先日も書きましたが、今までの日本史の教科書は世界の中の日本と言う位置付けが弱く、また世界史の教科書は欧米がいかに近代化をしてきたか、と言う欧米中心の記述になっているため、これらの見直しをするのが目的の一つのようです。これは持論でもありますが、社会人の一般常識として知っておきたい近現代史と、論争が多く現代の生活に直結しないそれ以前の歴史とは別物、と思っているので、この動きは誠に喜ばしい傾向です。

第1章のDNAの話は通常の歴史本には書かれない生命科学がさらっとおさらいされているので文科系の人にも興味深く読めるでしょう。このジャンルは専門家の先生の記述に任せた方がいいと思うのでこの著者が書いたものは論評しません。

第2章から、海外が日本に与えた影響を、白村江の戦いから壬申の乱に至る経過、大唐帝国との関わり、日元・日明貿易、倭寇、鉄砲伝来、豊臣秀吉の朝鮮出兵や徳川幕府の鎖国の背景、そして明治維新まで、解説しています。

今までの日本史本とは一線を画す内容ですので、以後、順を追って見直して行きたいと思います。



地政学

「地政学」という言葉を50代になって知りました。

地理的条件を戦争に役立てる学問のように思われて、日本では戦後あまり力を入れてこなかったジャンルの学問のようです。

しかしながら、地理とか地政学を知っていると知らないとでは、歴史の理解がまるで違うことに気づき、歴史の背景として意識するようになりました。例を挙げると、

1)大陸と半島と島国で、政治の安定性に差が見られる。例えば、ユーラシア大陸では中国でも欧州でも国(王朝)同士が領地を奪い合う歴史がある。片や英国や日本を見ればわかるが島国は民族・文化の行き止まりなのか、政治的に比較的安定している。そして半島は大陸から攻めて来た時に行き先がなく、またここを抑えることで海洋への睨みが効くので勢力の奪い合いになり戦争の発火点になりやすい。バルカン半島や朝鮮半島がそうですね。

2)ロシアは不凍港を持ちたいという強いモチベーションがあり、英国は国防上・貿易上、七つの海を自分が支配したい強いモチベーションがあった。従って、ロシアは南へ南へと進出することを目指し、大英帝国はそうはさせまいと押し返す。その結果がクリミア戦争だったり、日露戦争だったりするわけですね。(日露戦争当時、日本と英国は同盟関係にあった)

3)国家為政者の頭にある、land power、sea powerの概念を知っておくと、どうしてこの国を攻めたいのか、仲良くなりたいのか、が理解できる。

日本は江戸時代、いわゆる鎖国をしていたがために海軍を持たず、他国を攻める行動は抑制されました。逆に新興国であるアメリカが太平洋の覇権を確保すべく、大西洋の覇権を持った英国に次いでsea powerに目覚め、彼らに開国を迫られ、日本は海洋国家であることを思い知らされ、太平洋の覇権を賭けてアジア・太平洋戦争で敗戦するまでもがき続けます。今は殺し合いの戦争はしませんが、TPPの主導権を誰が握るかが形を変えた太平洋覇権の奪い合いでしょう。

自分の支配できる領土を広げたい、という人間の欲望は昔からあまり変わりがないようで、次制覇したいのは宇宙、ということで、最近ロケットの開発競争とか宇宙軍の創設とかが話題になりますね。地上の戦争もなくならないうちに宇宙で戦争が始まって欲しくはないですが、無法者が宇宙空間を分割支配し始める前に手を打たねば、ということなんでしょうか。


生存バイアス

歴史を学んでいると、経営に通じるものがあるな、と時々思います。

一つは「生存バイアス」。つまり、滅びた者は語ることなく消えて行き、生き残った者だけが正義を語れる、ということです。勝った者の意見しか残らないので勝因を正しく分析できない。

経営で言えば、ビル・ゲイツが自分のやってきたことを語り、それを真似したからと言って誰でもビル・ゲイツになれるわけではないし、歴史で言えば、明治政府は自己の正当化ができますが、滅ぼされた徳川家はその前に沈黙せざるを得ない。「敗軍の将兵を語らず」「勝てば官軍」です。戦国時代や幕末では、好条件が連続した偶然が大きくその命運を左右したはずで、そこから何かを学ぶことができるのか、が甚だしく疑問です。

勝った者から一つ学ぶことがあるとすれば「致命的になるような大きな失敗を避ける」「どんな手を使ってでも兎にも角にも生き残る」ということでしょうか。

過去から学ぶためには、成功事例は偶然の連続や個人の嗜好、時代背景、等々に大きく依存していた、ということを念頭におく必要があると思います。

衰退するヨーロッパ、発展するアジア

2017年の国別人口は多い順に

中国 14億人
インド 13億人
アメリカ 3.2億人
インドネシア 2.6億人
ブラジル 2.1億人
パキスタン 1.9億人
ナイジェリア 1.8億人
バングラデシュ 1.6億人
ロシア 1.4億人
日本 1.27億人
(出典はhttps://www.globalnote.jp/post-1555.html

だそうです。アジアが多いですね。

近頃、今まで欧州を中心に書かれていた世界史を、近代化前に中心だったアジアも平等に、global historyと称して捉え直そうという動きがあるようです。ユーラシア大陸を繋げたモンゴル帝国の時代から世界史は始まる、と唱える学者もいるようで、当時荒れ地で文化的にも辺境、経済的にも中国・インドに遅れを取っていたと思われるヨーロッパがいかに近代化を図ったか、かのように書かれている今の教科書は確かに立場の偏りを感じずにはいられません。

人類の文明はエジプト含むオリエント地方、インド文明、中国文明から始まったが、たまたま好条件に恵まれて起こった産業革命や市民革命によっていち早く近代化できた欧米が「先進国」と称して経済的政治的に幅を利かせている。ところがその近代化がグローバルになるにつれ人口に比例する経済的パワーがアジアに戻りつつある、のが今まさに我々が目撃している現代、という捉え方をすべきでしょう。

今後100年で世界は大きく変わると思います。






2018年8月13日月曜日

教養としての歴史

つい最近まで歴史とは学校で、座学で、専門家から学ぶもの、と思っていました。ところが最近は、歴史とは過去の現実の積み重ねであり、学ぶべき、学べる対象は森羅万象、いくらでもある、と思い始めました。

特に一般教養として、社会人の常識として、知っておくべき歴史というものがあります。

例えば最近のニュースで、米朝会談の中で合意された事項の一つに、朝鮮戦争で犠牲になった米国軍人の遺骨を米国に返還する、というものがあり、実際にその約束が履行された、というニュースがありました。

朝鮮戦争は私が生まれる前に始まって終わったので実感としては全くありませんが、北朝鮮と米軍を主力とする国連軍が戦った事実が現代に繋がっていることをはっきり思い起こさせるニュースでした。

またちょっと前、国会議員の団体が、靖国神社に西郷隆盛を祀るよう申し入れを行った、というニュースがありました。西郷隆盛は明治維新の立役者ですが、靖国神社は戊辰戦争で犠牲になった官軍の兵士を弔うために皇室が作った神社なので、西南戦争で新政府軍に破れた賊軍の西郷隆盛は祀られていない、という事実を知っておく必要があります。

今の若い人で、中国やロシア、まして米国と戦争をしたことすら知らない人もいるそうですが、外国人と交流が増えていく中で歴史の常識がないのは相当に恥ずかしいことでしょう。私も若い人や外国人に聞かれてトンチンカンなことを言わないように、最低の常識は身につけておきたいと思っています。


歴史は誰から学ぶべきか

私の場合、日本史と世界史を体系的に学んだのは高校時代が唯一の経験です。日本史・世界史とも、今にして思えばその講義の内容の深さから相当な学識を持った教師から学んだはずなのですが、その内容はあまり頭に残っていません。

社会人になり、書籍や映像などの各種メディアから断片的な情報を仕入れるのみとなりましたが、そこで学んだのは、歴史というものは一つではなく、知識の幅広さ・深さやその立場によって捉え方が相当に変わる、というものです。

例えば明治維新は「勝てば官軍」の言葉通り、薩長側に立つ人は明治政府を正当化するし、旧幕府軍、特に会津藩由来の人々には未だに戊辰戦争の遺恨が残っているようです。

また、アジア・太平洋戦争を、日本はアジア各国を侵略した悪者だったと捉える人もいれば、欧米支配からアジアを解放した戦争と捉える人もいます。

これらは立場による歴史の捉え方の違いです。

もう一つ思うのは、専門家がその保身のためとしか思えないようなやたら細かなことにこだわって、歴史を社会人の一般教養として大雑把に捉えたい人が近寄り難い学問にしているのではないかと感じています。

というわけで、容易には理解できなくても良しとするような人の言うことより、大勢に容易に理解してもらうことにモチベーションを持つ予備校講師の説明が一番わかりやすく、立場もニュートラルではないかと感じています。

嘘だと思ったらYouTubeで開設されている日本史世界史のチャンネルを見てみてください。



歴史の理解を妨げてきたもの3

現代では使われない用語が曖昧、難解で本質を言い表していない、もしくは本質を隠すために美辞麗句で言い換えている、と言う問題があります。例えば、幕末を学習し始めた当初混乱するのが「尊王攘夷」と言う言葉です。

公家や各藩が「尊王攘夷派」と「公武合体派」が対立した、などと書かれても、「公武合体」を目論んだ徳川幕府は慶喜が錦の御旗を見て敵前逃亡したことからも分かるように、「尊王」でなかった人はいなかったと思います。また「攘夷」には外国船を打ち払うとか外国人を殺傷する、と言う意味から、不平等条約を改正する、ような意味まで幅があるようです。また「明治維新」も後からつけた名前のようで、当時の人々は「御一新」と呼んでいたようです。

明治政府は幕府を倒したことを暴力革命ではないと正当化したいがために言葉の言い換えをしているのでしょう。慶喜が大政奉還した後に新政府軍と旧幕府軍の内戦が続いたことでも分かるように、明治維新の核心は「薩長が徳川家の支配を暴力で終焉させたこと」だと思っています。


2018年8月12日日曜日

歴史の理解を妨げてきたもの2

単に「歴史」と言っても把握すべきジャンルの幅が広すぎて初学者はとまどいます。

ちょっと挙げただけでも
・民衆の衣食住、文化
・政治の仕組み、その変化
・戦争、事件、事故、自然災害等
・地理

英雄の生涯に興味持つのは趣味や研究としてはいいですが、自分がなれるわけじゃありませんし、そこから何かを学び取るのは次のステップですし。

一つ抑えるとしたら、政治の仕組みとその変遷、でしょうか。狩猟生活をしているうちは食べるものがなくなったら次の土地に移る、とかで生き延びたのでしょうが、農業が始まって定住が始まり、土地が農業に適しているかどうかで貧富の差ができ、戦争があり、、、等々から民を治め、他民族と団結したり抗争したりの歴史が始まります。

そして民を治める手法が進化し、投票と議会を通じた民主主義が一定の成果を収めて一つの終着点として定着しつつあります。

その時代の転換点を把握した上で次のステップに進みたいと思います。


歴史の理解を妨げてきたもの

歴史が好きな人と、嫌いもしくは興味ない人とは真っ二つに別れるようです。

私は最近まで後者だったのですが、数年前突然前者になりました。歴史を分かりやすく、興味を持てる人や素材、テーマに出会ったのが大きいと思います。

歳を取るにつれ、見聞したものの蓄積が増えて興味ある分野との関連が知りたくなったのと(昨日書いた外国人の英語教師との交流等)、海外のニュースが歴史を踏まえないと理解できなくなってきたのと(朝鮮戦争とか英国のEU離脱とか)、戦後引揚者の父母の話を次世代に伝えないといけないと思ったのと。。。諸々条件が積み重なったこともあります。

そこで今更ですが、歴史に興味を持てなかった、歴史教育に苦言を呈しておきたいと思います。

1)先史時代から古代、中世、、と言う時代の流れに沿った勉強は一考の余地がある

今までも年代をさかのぼりながら解説するような書籍やTVプログラムはありましたが、ただ単純に「この事件が起きたのはこう言うことがあったからだ」を続けていても年代順に事件を追うのと本質的には変わりがありません。

ここで提案したいのは、初学者が興味を持てる、持ち続けられるテーマを掘り下げたらどうかと言うもの。今身の回りにある物品の由来などがいいと思います。例えばコーヒーの歴史とか、冠婚葬祭とか。受験には役に立たないでしょうが、1年掛けて世界史をやるならせめて1ヶ月にくらいはそんな息抜きがあると興味が持続できるのでは。

2)その時代の人間になった気持ちになる。現代の常識に捉われない工夫をする。

教科書は検定の縛りもあり、学会で定説になっていなかったり史実に記載されていない想像・空想や、先の大戦などで迷惑を掛けた国民を刺激したり、宗教対立などナイーブな記載は避ける傾向があるようですが、だからこそ教室ではもっと具体的で、極論で物議を醸すような議論もしておくべきではないかと思います。もちろん異論反論をお互い認めた上で、です。このブログでは非専門家である筆者が、自分の責任で思うところを書くことに意味があると思っています。

3)1)とも関連しますが、一番知りたい、知っておくべき近現代史が受験時期になって端折られてしまうのは学習スケジュールを考慮して欲しいと思います。極論を言えば、近現代史とそれ以前の歴史は全く別物の扱いでもいいのではないかと思います。近現代史は現代人必須の教養、それ以前は趣味とか純粋の学問ということです。理系で言えば、気化熱を知っていると夏が快適に過ごせるが、宇宙の果てがどうなっているかを知ったからと言ってほとんどの人の生活には影響しない、と言う例えでどうでしょう。

今日のところはこれくらいにします。





王と皇帝

専門家が正確な定義をしてくれると思いますが、ここでは、一国の元首が王、複数国を束ねる、もしくは他国の王を従える元首が皇帝、くらいに思っておけばいいと思います。

日本が明治維新後、政体が変わったので李氏朝鮮に挨拶しに行ったら国書に「皇」の時があって受け取ってくれなかったと言うような話があります。当時朝鮮は清の属国であり、「皇」の字が使えるのは清の皇帝のみ、と言う意識があったから、なのだそう。南北朝鮮は未だに日本の天皇のことを「日王」と言ったりしますが、要するに日本は朝鮮の下、譲ったとしても中国の下だから同じ立場だろ、と言いたいのでしょう。

この「華夷思想」を打破したのが日清戦争です。


宗教対立について

私が全く説明できないジャンルに宗教があります。

服部家の墓は島原市の日蓮宗の寺にありますが、次男である父が死去した際に長野県塩尻市の真言宗のお寺に仏事を諸々頼むことにしました。改宗の儀式とかは別にしてません。日本の仏教の緩いところです。

世界史の初学者がつまづくところに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の違いがわからない点があります。同じ「神」を信じているのに何故諍いが起きるのか?聖地もエルサレムのかなり近い場所に集中していますし。

専門家がわんさといますし私には全く説明できませんので、「同じ神を信じる宗教団体から不満を持った一派が別れて起こした宗教団体が、元の団体と争う構図」と理解することで世界史の流れを大雑把に捉えることにします。

これはキリスト教がカトリックとプロテスタントに別れて欧州内で戦争を起こしたり、イスラム教がシーア派(盟主はイラン)とスンニ派(盟主はサウジアラビア)に別れて未だにいがみ合っている原因なのだな、と理解しておきましょう。


2018年8月11日土曜日

日本を開国させた米国の意図、その後影響力がなくなった理由

幕末史は大抵ペリー来航から始まります。それまでロシアなど各国が度々日本近海に現れているにも関わらず、です。そしてその後存在感が薄れてイギリス等々に日本近代化のイニシアティブが移ります。遠いところをわざわざ日本までやって来て苦労して開国させたのに、最後まで日本近代化に手を貸さずに何が目的だったの?と言うのが疑問でした。

捕鯨基地として、薪水を補給したり、漂流者を保護してもらいたい、と言うのもわかりますがそんなことでわざわざ日本まで大西洋周りでやって来るでしょうか?

清との貿易を狙って、日本はその中継基地として考えていたのでしょう。ところが南北戦争が始まって、極東のことに関わっていられなくなった、と言うことのようです。

末端の人間には捕鯨基地とか具体的に分かりやすく主張し、説明するでしょうが、国家の意思としては、イギリス・フランスに遅れを取った新興国のアメリカが太平洋の覇権を狙ってまずはじめに日本にアプローチをかけた、と言うのが合理的に思えます。(物の本によれば、大西洋周りでアジアと交流するにはアメリカはヨーロッパに比べて運賃で負けるが、太平洋航路を開拓すればそれは逆転できるから、だそうな)

「捕鯨基地」のような子供騙しの説明されても頭に入らない。「アメリカは太平洋の覇権を狙っていた」と言ってくれればなるほど、と思えます。



カトリックとプロテスタント

前までの記事に「種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガルなのに幕末に交易のあったのがオランダだけなのは何故?」と言う事を書きました。

答えは、ポルトガルはカトリック国、種子島に来た頃はカトリックとプロテスタントが争っており、カトリックは海外布教に力を入れていたのだが、徳川幕府は交易はもちろん布教も目的とするカトリック国と交流するのを禁じたから、です。逆にプロテスタント国のオランダは布教はせずに交易だけすることで満足できたので幕府はオランダだけ交流する事を許した、と言うことでしょう。

専門家ではないので解説が正確でなく、つたないですが、今後ともこんな調子で書いていく事をご容赦ください。

5月に母と訪れた長崎

父方、母方、どちらも親戚はほとんどが長崎に集中しており、おじさんおばさんも高齢化してきたので会えるうちに会っておこうと言うことで、5月に母と一緒に亡父の姉弟、母の妹弟、に島原、佐世保、で会ってきました。

その会合の後、平戸のオランダ商館、博多で太宰府と国立九州博物館を訪れ、古代から幕末の日本に思いを馳せました。

帰郷後、長崎の隠れキリシタン関連の遺跡類が世界遺産になると言うニュースもありました。

昔の日本を少しでも知っていると旅行も味わい深いものになります。


世界の中の日本

私自身は、これから大学受験するわけでもないし、世界史の全貌を理解するモチベーションもなく時間的にも無理なので、自分が知りたい時代、地域を集中的に勉強すればいいと思い直すことにしました。

最近は、世界史の中に現れる日本、海外が日本の歴史に与えた影響、等々を見ていくのが面白いかなと思っています。今NHK大河ドラマで「西郷どん」をやっていますが、鎖国体制から海外の圧力で開国していく過程はまさに海外が日本に与えた影響で最も大きなもののうちの一つでしょう。

そこで最初に疑問に思ったのは、当時交流のあったのはオランダであり、アメリカが黒船でやってきたのにすぐその影響力は落ちてイギリスが登場し生麦事件や薩英戦争が起き、というように外国のプレーヤーが入れ替わり立ち代り、になったのは何故なのか?です。種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガルだしその後も交易していたはずなのに、幕末当時にはオランダとだけ交易していた理由もちょっと前までは説明できませんでした。日本史だけ勉強しているとそんな疑問にも答えられません。

今では上に書いたことなら人に説明できるようになりましたが、そんな疑問を自分で調べて自分なりに理解する、のが歴史を勉強する面白みでしょう。



満蒙開拓団

私は母は満州にいたと書きました。長野に満蒙開拓団の記念館があると聞いて先日行ってきました。記念館で得られた情報はなかなか衝撃的なものでした。母は開拓団ではなく、その養父が学校の教師の仕事で渡ったのですが、展示内容は記憶にあるものがたくさんあったようです。

そこで知ったのは、1945.8.9のソ連侵攻時、満州そしてそこに住む日本人を守るべき関東軍は既に南に逃げており、暮らしていた日本人たちは丸腰だったという事実です。日本政府、そして日本軍はソ連侵攻を予知できる立場でありながら日本人を見殺しにしたのです。生き延びた日本人も男性はシベリアに連れて行かれたり、女性は辱めを受けたり、乳幼児は現地の中国人に泣く泣く渡して逃げた結果残留孤児になったり、悲惨な目にあった人が多かったと聞きます。

母は当時子供だったし詳しいことは話しませんが、私が政府を心の底からは信じられない理由がここにあります。

満蒙開拓平和記念館

なぜ歴史を勉強し直そうと思ったか2

私の父は京城、今のソウル、で生まれました。祖父も祖母も日本人ですが、その当時今の韓国は日本だったのです。士族ではありましたが祖父は確か三男で、家督も継げず外地で一旗揚げるような感覚だったのでしょう。家も建てたようですが終戦で家財道具一切合切置いて引き揚げ、その後は食うや食わずで相当苦労したと父から聞きました。

方や私の母は生まれは長崎ですが、その養父の仕事の関係で満州に渡りました。1945.8.9ソビエトが中立条約を破棄して侵攻して来たため住んでいた土地など全てを捨てて、一年滞在した後引き揚げて来ました。原爆のことは引き揚げるまで知らなかったそうです。

今の人間に当時のことはわからないので当時の人のことを一方的に非難することはできませんが、戦況や世界政治の状況をもっと知って冷静に対応できていれば政府に騙されることもなかったのでは、とも思います。

私も孫を持つ歳になって、次、その次の世代が平和で過ごせるように、過去のできことを、そして史実や世界を知る大事さを伝えることが残された人生の課題だと感じています。

ヨーロッパの王族は親戚同士

タイトルにもあるように、ヨーロッパの王族は親戚同士です。

王家の一族(「〜朝」と称する)が幾つかの国を治めることがある。これが日本人の感覚ではわからない。英国もEnglandとScotland, Wales, Northern Irelandの連合王国ですね。日本も戦国時代や江戸時代はこれに近いケースがあったようですが。

日本の天皇が他国の王様を兼務するようなイメージでしょうか。ちょっと想像すればわかるが支配される側はいい気分じゃないでしょうね。過去そうだったとすれば遺恨は残るでしょう。




なぜ世界史はとっつきにくいか

世界史の勉強を妨げる要因には幾つかあると思います。

1)把握するべき地理の範囲が広い

日本史に比べて、把握しないといけない領域が広大で、普通の人は行ったことがない土地ばかりですからまず想像がつきません。歳を重ねて、映画やニュースや外国人との交流その他で少しずつ蓄積して来た知識が増えて来て、逆に深く知りたい、と思うようになりました。

2)日本はほぼ単一民族、2千年以上前から統一国家、海に囲まれた国土、ほぼ同じ言語

日本人がそうでない地域や人々を理解するのが難しい。日本は島国なので領土紛争といっても限定されるが、ユーラシア大陸は領土の取った取られたを延々とやっている。日本の戦国時代を想像すればいいのかもしれないが。

3)宗教とその対立がわかりにくく想像できない

日本人には仏教と神道が身近ですが、一神教のキリスト教やイスラム教の教義がよくわかりません。仏教や神道のうちわ同士で紛争したことなど私は聞いたことがありませんが(歴史的にはあったとしても)、一神教はそれらが成立してから未だに紛争の元になっていることが想像しづらい。ローマ法王と王様との権力争い、キリスト教とイスラム教の戦い、などが歴史上の出来事の肝になっていることを想像しながら歴史上の人物を覚えないと行けない。

これらの違いを少しずつ意識すれば複雑で難解で膨大な世界史を少しずつ解きほぐすことができるのではないかと思います。



なぜ歳をとってから歴史を勉強し直そうと思ったか

どうして歴史が嫌いになったのか、興味が持てないのか、頭に入らないのか、を大人になってから冷静に振り返ることができるようになったので、まずはそこを整理することで興味が持て、頭に入るようになるかな、と思いました。

まず始めになぜ歴史、特に世界史に興味を持つようになったのか。

一つは、40代になるかならないかの頃、英会話を勉強し始めた時、米国人、英国人、カナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人らと交流が始まりました。

英国人の女の先生は、「多くの英国人は紅茶が好きだけど私はコーヒー派なのよね」

おじいさんがチベット人で英国に移住したという見た目日本人みたいな英国人の先生もいた。

インド系の英国人もいたし。カナダ人からはフランス語圏がある事を教わった。

オーストラリア人の気のいい若い先生は、「オーストラリアって英国の囚人を島流しにしたところから始まったんだよ」

ニュージーランド人の先生からは、「キャプテンクックを知っているか?」と聞かれたり。

世界史の知識が十分でなかった自分が恥ずかしかった。少しずつそんな話を聞くにつれ、歴史を知るときっと話題が豊富になって外国人ともいろんな話ができるんだろうな、と思いました。

趣味としての歴史の勉強について

私は高校時代、歴史、特に世界史が不得意ではっきり言えば嫌いでした。大学は理系に進んだのでそれ以降学校で歴史を勉強する機会はありませんでした。

高校時代、オリエントやギリシャ・ローマ時代の話を聞くと面白いなと思ったのですが、その後のヨーロッパの歴史がごちゃごちゃして来て人名や年号が覚えられないし、覚えられないから落ちこぼれて先生の話が面白くない。

ところが最近、ひょんなことから少しずつ歴史を勉強することとは何たるかが朧げながら理解しかかってきたので、同じように学生時代歴史が不得意だったが歳を重ねて勉強し直したいと思っているような人のために、浅学ながら自分はどうやって興味を持ち勉強し直し始めたかを記録して行こうかと思っています。

新しいタイプの世界史の教科書

昨日立川駅構内の書店で偶然見つけた書籍です。著者は現役の公立高校の教師だそうで、長年世界史を教えるのに苦労されてきた工夫があちこちに見られて好感が持てます。 常々思っていることですが、大人になってから勉強し直すのに何も大学教授など偉い先生の書いた難解なものをありがたく読む必要...